一般的に言って、自分の趣味はあまり良くないと言えます。
ちらっと問題なりそうだったアレとか、おおっぴらに言いづらいアレとか。
みんな大好きなアレやコレです。
気付くとTwitterでよく分からないことになっていたりするのを見て、ただただ哀しさを感じています。
悪趣味な趣味を楽しむことは悪いことなのでしょうか。
悪いことには悪いんでしょうが、どのくらい悪いんでしょうか。
特に、悪趣味なフィクションを楽しむことについて考えてみたいと思います。
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昔々、あるところにAさんとBさんがいました。Aさんは本州の北の方に、Bさんは沖縄に住んでいました。
Aさんは、日々の生活から「太陽がニシの方へ沈む」ことを発見しました。
つまり、「今日、太陽がニシの方へ沈んでいった」という個別の観察を何度も何度もしたことから、帰納法により、「太陽は、いつもニシの方へ沈む」という一般化をしたというのです。
Aさんは、これを遠く離れたところに住む、Bさんに話しました。
Bさんは大層驚き、自分の住んでいる地域でも同じことが成り立っているか確かめてみることにしました。
10月終わりのとある日、Bさんは日没の方向を観察してみました。
するとどうでしょう。太陽は、ニシとは全く違う方向に沈んでいったではありませんか。
AさんとBさんは、このことについて話し合った結果、Aさんの居住地での帰納的一般化は、Bさんの居住地での予測には使うことができないと結論付けました。
続きを読む「自然数」という概念を理解している人は、自然数の命題が正しかったり、誤っていたりするときに、その理由を挙げられるはず。
つまり、自然数の命題の真偽に対して、適切な正当化を行えるはずです。
ということで、「自然数」という概念の理解に、
・何が自然数に含まれるか
だけでなく、
・どういう命題が真となるか
みたいな要素を多少なりとも適切に判定できることが必要だと考えたときに、どういう事象に遭遇するかを書きます。
元ネタはダメットの「ゲーデルの定理の哲学的意義」です*1が、当然ちゃんと理解していないし、ロジックの知識も大してないです。
*1:Dummett, M (1963)"The Philosophical Signification of Gödel's Theorem", Ratio, 5, 140-55.
参照したのは、下記の論文集の和訳版です。
Dummett, M (1978) "Truth and Enigmas" (Cambrigde, Mass., Harvard University Press). 藤田晋吾訳『真理という謎』(勁草書房、1986)