日がニシに沈む

昔々、あるところにAさんとBさんがいました。Aさんは本州の北の方に、Bさんは沖縄に住んでいました。

Aさんは、日々の生活から「太陽がニシの方へ沈む」ことを発見しました。

 

つまり、「今日、太陽がニシの方へ沈んでいった」という個別の観察を何度も何度もしたことから、帰納法により、「太陽は、いつもニシの方へ沈む」という一般化をしたというのです。

 

Aさんは、これを遠く離れたところに住む、Bさんに話しました。

Bさんは大層驚き、自分の住んでいる地域でも同じことが成り立っているか確かめてみることにしました。

 

10月終わりのとある日、Bさんは日没の方向を観察してみました。

するとどうでしょう。太陽は、ニシとは全く違う方向に沈んでいったではありませんか。

 

AさんとBさんは、このことについて話し合った結果、Aさんの居住地での帰納的一般化は、Bさんの居住地での予測には使うことができないと結論付けました。

 

1. グルーのパラドックス

ネルソン・グッドマンの「グルーのパラドックス」は帰納法の推論へ疑問を投げかけるものでした。

ja.wikipedia.org

 

グルーとは、

・2050年までに発見された緑のもの

・2050年以降に発見された青のもの

を指す言葉です*1

 

このとき、(現在は2023年なので)

「〇〇は緑である」

が成り立つものは全て

「〇〇はグルーである」

が成り立っています。エメラルドを例に取り、単純に帰納法を用いて推論すると、

「すべてのエメラルドは緑である」

「すべてのエメラルドはグルーである」

は、同じくらい確からしいことになるハズです。

 

しかし、2050年以降は、これら2つの言明の意見は真っ二つに割れてしまいます。今までよく検証されて十分確からしい言明だったはずの「すべてのエメラルドはグルーである」という命題は、ある日突然、何の役にも立たないものとなってしまうのです。

 

我々が帰納的推論によって得てきた考えが、ある日突然役に立たないものになってしまう・・・なんてことにはならないのでしょうか。

我々の使っている概念が「グルー」的なものではないよ、というのはどのようにすれば言えるでしょうか。

 

2. 「ニシ」について

2-1. 冒頭のクソみたいな創作話

冒頭の創作は、時間的な「グルー」と似た概念のマネをして、空間的な「ニシ」という概念で同じようなことをやってみた・・・と言えるかもしれません。

つまり、「ニシ」を

・Aさんの居住地(東北)における「西」

・Bさんの居住地(沖縄)における「北」

という概念だとして、「太陽はニシへ沈む」という命題を帰納的に正当化しようとすると、グルーのパラドックスと似たような状況を生む・・・という構図になっています。

そのため、グルーのパラドックスと同じように、Aさんの居住地での検証をいくら行ったところで、Bさんの居住地における予測はできないという結果になりました。

 

2-2. 「ニシ」とは何だったのか

「グルー」の場合は、いかにも人工的で、「そんな概念使うわけないだろ!」という反論もあるかもしれません。しかし、「ニシ」の場合は以下で見るように、それらしい概念が実際に使われていた可能性があります。

 

標準語では、「ニシ」と言うと、方角の西のことを指しますが、沖縄のうちなーぐちでは「ニシ」は方角の北を指すようです*2

 

なので、標準語話者の「太陽はニシへ沈む」は成立して、うちなーぐち話者の「太陽はニシへ沈む」は成立しないということがあり得るということになります*3

 

これは、たまたま同音異義語になったのではなく、元々共通の概念だったことが可能性があります。

うちなーぐちでは、「ミーニシ」と言う語が「10月頃に吹き始める北風のこと」を指しています*4。「ニシ」で「北風」の意味を持っていた可能性があります。また、西高東低の冬型の気圧配置のときに、そのようなシチュエーションが実現しやすいように見えます*5

 

また、古事記の「仁徳記」では

天皇上り幸いでます時に、黒日賣、御歌、獻りて曰ひしく、
 倭方(やまとへ)に 西風(にし)吹き上(あ)げて、
 雲離(ばな)れ そき居(を)りとも、
 吾(われ)忘れめや。

と、単に「ニシ」と言って西風を意味していたようです*6

 

これらのことから「ニシ」という言葉は、元々は風の一種で、その後、その風の吹いてくる方角を指す言葉になった・・・と想像ができます。

 

可能性だけで言うなら、本州の風のほう「ニシ」も、西高東低の気圧配置のときに吹く風・・・と想像できなくもありません*7。今回はどうせそれっぽいフィクション*8なので、Aさんの居住地では、晩秋あたりの強い西風を「ニシ」と呼んでいたことにしましょう*9

 

ということで、完全に想像ですが、「ニシ」という言葉で、「冬の訪れを告げる強い風」みたいな共通した概念があった・・・かもしれないということができそうです*10

 

「グルー」と比べれば、だいぶありそうじゃないですか?

 

3. 何か言えること

3-1. 「ニシ」と帰納的一般化

ここまでのことで何か言えることはあるでしょうか。

 

一見すると、「ニシ」またはその類似概念については、帰納法により空間的な一般化を行ってはいけないということは言えそうな気がします。しかし、今回は、冬型の気圧配置で吹いてくる風を想定していました。したがって、その風はふつう、シベリア高気圧から吹き込んでくるような、「冷たい」風であるはずです。

 

ということは、Aさんが「今日、ニシは冷たい」という観察を帰納的に一般化して、「ふつうニシは冷たい」という言明を得たとしましょう。

これをBさんに伝えると、Bさんも「確かに、ニシは冷たい」と同意してくれるでしょう。

つまり、(今回考えているような「ニシ」について)「ニシは冷たい」という言明は、帰納的な一般化が可能ということです。

 

という訳で、「ニシ」という概念が悪さをしているというよりも、「ニシ」と「日没」を結びつけることがよくない、ということになります。

 

帰納法を使っていいかどうかは、概念単位ではなく、概念間の関係によって判断するべき・・・といえるかもしれません。

 

科学の世界であれば、擬似相関かどうかを慎重に検討して・・・となるところだと思います*11が、日常生活においては概念同士を変な結びつけ方をして誤った予測をすることって、稀によくあることではないでしょうか。

 

「グルー」のような奇妙な例に限らず、帰納法の失敗って思ったよりもあり得るということになる・・・?

 

3-2. ムーアの法則

例えば、「ムーアの法則」は、2050年のトランジスタの密度を帰納的に予測できているでしょうか。

ja.wikipedia.org

1970年のトランジスタの密度を N_0であるとして、ムーアの法則は、

 f_0(t) = N_0 \times 2^{\frac{t-1970}{2}}

のような形となります。が、本当はある定数 T(上限を迎える年)が存在して、

 f_1(t) = \begin{cases} N_0 \times 2^{\frac{t-1970}{2}} \quad (t \lt T のとき)  \\ N_0 \times 2^{\frac{T-1970}{2}} = N_1 \quad (t \geq T のとき) \end{cases}

となっているのではないでしょうか*12

 

 f_0(t) f_1(t)も、現状の証拠には同じくらい当てはまっているはずです。ふつう帰納的な一般化というと f_0(t)のほうを指すように見えますが、頭打ちになるという意見も多いため、 f_1(t)もOKと考えてもいいかもしれません。

なので、グルーのパラドックスでいう、「緑とグルーが同じくらい確証されているが、予測が割れる」ような事象の一例と言えるかもしれません。

 

3-3. まとめ

・「グルー」っぽい日常概念も、帰納法を適用して失敗することも、十分あり得る

・同じ概念であっても、帰納法を適用できるときとできないときがある

・「人間がどういう一般化をしがちか」と、「一般化された予測が当たるか」は別問題*13では・・・?

 

・・・ぐちゃぐちゃになった挙句、何も解決してなくないか?

 

*1:New riddle of induction - Wikipediaとかを流し見した感じだと、たぶん原義は(2050年のような)具体的な時刻ではなく、時刻 t と表現しているっぽい。

*2:宮古島では、だいたい「ンスィ(nsï)」くらいっぽい?

下地理則(2018)『シリーズ記述文法Ⅰ 南琉球宮古語伊良部方言』くろしお出版のp.15

*3:Q. 太陽って「ティーダ」じゃないの?

A. ・・・はい

Q. 不徹底では?

A. ・・・はい

*4:ミーニシとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書より

*5:沖縄県農林水産部病害虫防除技術センターの

平成26年度病害虫発生予察情報第7号(10月予報)/沖縄県

のコラムより

*6:青空文庫「古事記」より。ただし読み仮名は、かっこ書きした。

この箇所の原文は、古事記、全文検索というページを参照した感じでは、

天皇上幸之時、黑日賣獻御歌曰、

夜麻登幣邇 爾斯布岐阿宜弖 玖毛婆那禮 曾岐袁理登母 和禮和須禮米夜

となっているため、ちゃんと「爾斯」と言っている。

*7:論点先取的。

・本州の「ニシ」が風の一種かも

・沖縄の「ニシ」が風の一種かも

・沖縄の「ニシ」が冬型の気圧配置の季節風っぽい

という示唆はしていますが、

・本州の「ニシ」が冬型の気圧配置の季節風っぽい

ことは述べていません。語源が同じだったら確かにそう言えるでしょうが、ここでは語源が同じかどうかを検討している文脈なので、結論を前提に使ってしまっています。「ニシ」が同語源である別の根拠を見つければいいんでしょうけど。

*8:昔々の話ならAさんとBさんが連絡を取り合える状況はなさそうだし、そもそもBさんが「太陽がニシの方へ沈む」かどうか分からないなんてこともなさそう。

*9:木枯らし - Wikipediaを見ると、なんか西北西くらいの風も木枯らしらしいので丁度良い。

・・・木枯らしは関東と近畿のみ?知らん。

*10:たぶん、もしかしたら、ひょっとして、ワンチャン

*11:でも、Aさんの居住地でのデータしかなかったらどうしようもなくない?

データが偏っていると良くないけど、案外データの偏りに気付けないという話?

*12:関数の作り方からすると、 f_0(t)は「グリーン」に近くて、 f_1(t)は「グルー」に近いように見えます。

Q. じゃあ初めからこの例で良かったのでは?

A. 書き始めた段階では思いついていなかったので・・・

*13:言葉を使うことは、「似たようなくくり」のモノに同じ言葉を当てはめるので、帰納法っぽい面があるらしいです。なので、「人間がどういう一般化をしがちか」を調べると、言語について何か分かるかもしれません。ただ、それは人間の癖が分かるだけで、必ずしも上手くいくことを保証できません。たぶん